LOGIN「――わぁー……、すごい数の報道陣ね……」
秘書である野島さんと一緒に、ステージ袖から大ホールに入ったわたしは、すでに詰めかけている大勢の報道陣に圧倒されかけていた。
でも、日本屈指の有名一流企業であるこの城ケ崎商事の社長になるということは、それだけ全国からの注目を集めるということなのだと思うと、ビシッと気が引き締まる思いだ。
「そうですね。テレビ局や新聞社、雑誌社だけでなくネットニュースの記者まで集まっていますから。あと、この会見はネットで生配信もされるそうですよ。社長は責任重大ですね」
「そうね……。でも、あなたが作ってくれた原稿もあるし、大丈夫。ちゃんとやり遂げて見せるわ」
「頼もしいですね、社長」
「むしろこれだけ注目されると、俄然やる気が湧いてくるわ。わたしね、追い込まれるほど燃えるタイプなの」
見た目が大人しそうだからとなめられやすいわたしだけれど、実はけっこう気は強い方だ。だからこそ、この会社へ入社する時に父のコネではなく自分の力で入社試験を受けることを選んだのだ。
「……あれ?」
「どうしたの、野島さん?」
一緒にホールの中を見回していた野島さんが、驚いたように声を上げた。いつも冷静な彼が、ここまで取り乱すことは珍しい。
「いえ、あの……叔父が、この会場に来ているんです」
「えっ、南井さんが?」
彼が指さした先を見れば、ホールのいちばん奥に、報道陣に隠れるようにして南井副社長が何やら不敵な笑みを浮かべて立っている。でも、どうしてあの人がここにいるんだろう? 何かイヤな予感がする&helli
「――すみませーん! ウーロン茶下さい。あと、鶏の唐揚げも追加で」「かしこまりました」 ジョッキを空にしたところで、わたしは店員さんに声をかけて追加注文をした。飲む気満々だった萌絵と平本くんが不思議そうな顔をしてわたしを見ている。「えっ? 佑香、もう飲まないの?」「うん、酔っ払ったら迎え呼べないし。ここからはソフトドリンクにしとく」「そっか。うん、そうだな。その方が賢い」「あたしも同感。じゃあ、あたしも次はソフトドリンクにして食べる方にシフトするかー」「じゃあ俺も……と言いたいところだけど、俺はもう一杯だけ酒頼んでいい?」「お好きにどうぞ。どうせ支払いするのはわたしだからね」「さっすが社長! 太っ腹!」「ちょっと平本くん! ここで『社長』呼びはやめてよ。変に目立っちゃうから」 上機嫌にはやし立てる彼に、わたしは顔をしかめた。ここでは社長ではなく、二人にとってただの友人でいたいのに。 ――というわけで、萌絵もコーラを注文して、ここからは第二ラウンドに突入した。平本くんは二杯目にハイボールを頼んだ。「……あ、そういやさ。今日の会見の時、記者の中になんか怪しいオッサンいたよな?」 ハイボールをグビグビ呷ってから、平本くんが思い出したようにそんなことを言った。「ああ、いたいた! 確か、『週刊イレブン』とかいうところの記者さんだったね」 わたしも思い出した。終始ニヤニヤと下品な笑みを浮かべていて、失礼極まりない質問をしてきたので憶えていたのだ。わたしもちょっとムカついたけれど、答えないのも大人げないので質問にはきちんと答えていたけれど。 そういえばあの人が質問していた時、南井さんがやたら上機嫌だった気がする。それはわたしもちょっと気になってはいた。「『週刊イレブン』って三流週刊誌だよね。芸能人とか有名人とかのゴシップやらスキャンダルやら、果てはエロ記事やらばっかり載せてるヤツ。……佑香、ヤバくない? そんな週刊誌の記者にを目つけられたらさ、あんた確実に足引っ張られるよ」「大丈夫よ、萌絵。わたしには今のところ、そんな記者に足を引っ張られるようなネタは一つもないから」 もし野島さんと恋愛関係になったとしても、わたしも彼も独身なのでスキャンダルにすらならない。企業のクリーンなイメージだって壊れることはあり得ないのだ。「でも、アイツは敵側の
「今日、実は秘書の野島さんにも声かけてみたの。でも断られちゃった。『場の空気を乱しそうだから』って。まあ、マイカー通勤だからっていうのもあるんだろうけどね」 わたしはお刺身盛り合わせのマグロをつまみながら、肩をすくめた。「あらら、残念だったね。あたしも見てみたかったわー、野島さんが平本くんと顔を合わせてどんな反応するのか」「けっ! 来なくていいっつうの、あんなヤロー。俺にとっちゃ敵だからな」 残念そうに言って明太子入り玉子焼きをつまんでいる萌絵に、ネギマの焼き鳥にかぶりついていた平本くんが吐き捨てた。「……あっそ」 予想通りの反応だったので、特に何とも思わなかったけれど。残念な気持ちはどこかへ飛んで行ってしまった。(やっぱり、野島さんに断られてよかったかも……。これは間違いなく修羅場になりそうだわ) 平本くんは相変わらず野島さんに敵対心剥き出しだ。二人を引き合わせるのは危険極まりない。「そういえば話変わるけど、社長の報酬って月額いくらもらえるの? ちょっと興味あるなぁ」 場の空気を変えようとしてか、萌絵がわたしにこんな質問をしてきた。下世話な話題だというのは、彼女も百も承知だと思う。「えっ、社長の報酬? えーっとね、確か一千万円とか聞いたような」「いっ……、いっせんまんんんっ!?」「マジか……、ケタ違うじゃん」 わたしの答えに、二人とも絶句した。というか、わたし自身も実際に受け取るまではまだ信じられないのだ。 ちなみに城ケ崎商事は給料が初任給から高いことでも有名で、一般職の初任給が手取り二十五万、総合職でも手取り二十八万もらえる。入社三年目の平本くんと萌絵は、今の手取りがだいたい三十二万くらいだろう。「えっと、OL時代の佑香のお給料が月額で……」「手取りで三十五万。総合職だったから」「だよね。ってことは……一挙に三十倍近くになるってこと? スゴすぎ」 わたしの隣に座っている萌絵がジョッキを持ったまま天を仰いだ。「なんか、急に佑香が雲の上の人になっちまったな」 向かい側に座る平本くんの反応も似たようなもので、萌絵もうんうんと頷いている。「待って待って、二人とも! 収入が変わっただけで、わたしは今までどおりなんにも変わらないから! お金を盾にして二人に無理難題ふっかけたり、ハラスメントやったりは絶対にしないよ」「そうだよね。
――今日受けた取材は二十件ほどで、新聞社や経済誌、女性誌、ネットニュースなどのメディアが中心だった。 それも国内のメディアだけでなく、韓国やアメリカ、中国や果てはブラジルなど海外のメディアもあり、わたしは得意の語学力を活かしてそれぞれの国の言語で丁寧に対応した。 まだまだ取材を申し込んできているメディアはどっさりあるので、明日以降も順次対応していくつもりだ。 そして、野島さんのタイムスケジュールが完璧だったため、定時の夕方五時までにはすべての取材を受け終えた。「はぁ~~、何とか終わったぁ」 応接スペースのソファーでリラックスモードに入り、伸びをしていたわたしに野島さんが冷たい麦茶のグラスを持ってきてくれた。「お疲れさまでした、社長。まだ終業時刻までもう少しお時間がございますので、これでも飲んでひと休みして下さい」「ああ、野島さん、ありがとう。いただきます」 ちょうど喉が渇いていたので、わたしはありがたく頂くことにして、グラスを受け取った。ひと息に半分ほど飲むと、ホッと生き返ったような気持ちになる。「今夜はお友だちと、社長ご就任の祝賀会でしたね」「そんな大げさなものじゃないけど。……あ、そうだ。ドライバーの江藤さんに連絡しとかなきゃ」 わたしはスマホを取り出し、我が家のお抱えドライバーに電話をかけた。連絡を入れなければ、彼は間違いなく終業後すぐにこの会社のビルの前までまっすぐ迎えに来てしまうだろう。『――はい、江藤でございます。社長、何かご用でございましょうか』「江藤さん、ごめんなさい。わたし、今日は帰りに友だちと飲みに行くことになったの。帰りにはわたしから連絡するから、それまで待機しておいてくれる?」『かしこまりました。では、くれぐれも飲みすぎないようお気をつけ下さいませ。連絡をお待ちしております』「うん、分かった。わざわざ忠告ありがとう。じゃあ、また後で」 彼が物分かりのいい人でよかった。まあ、父も社長だった頃によく接待やら役員たちの懇親会やらで飲みに行っていたので、お店まで迎えに行くこともしょっちゅうだったからだろうけれど。「そろそろ五時になりますね。社長、今日一日お疲れさまでした。飲み会、楽しんでいらして下さいね」「うん、ありがとう。そっか、野島さんってマイカー通勤してるのよね。じゃあ、飲み会に参加できないのもムリないか
「……社長って、初対面の時からおしとやかな方だと思っていましたけど、本当はごく普通の若い女性なんですね」 野島さんが少し驚いたような顔をした後、苦笑いしながらそんなコメントをした。「もしかして……わたしに幻滅しちゃった?」「いえ、幻滅なんて滅相もない。むしろ親近感が湧いてしまったくらいです。……ああ、失礼しました」 彼の口調が少し砕けたように聞こえるのは、わたしの気のせいだろうか? 多分、彼も無意識なんだろうけれど。「よかった。野島さん、あなたの話し方、今の感じでちょうどいいくらいよ。さっきまでのは堅苦しすぎて肩凝っちゃうから。村井さん、あなたもね。やっぱり仕事は楽しくしたいじゃない?」「そうですか? 分かりました。社長がそうおっしゃるなら、今度はそうさせて頂きますね」「ええ、私も同じく」 まずは二人の秘書たちとほんの少しだけ、距離を縮めることに成功したみたいだ。でも、野島さんがわたしのことをどう思っているのかまでは、今の時点ではまだ何とも言えない。 ――萌絵に言わせれば、わたしは美人で髪も肌もキレイで、そのうえスタイルもよくて色気もあるので振り向かない男性はいないらしい。 身長は百六十にちょっと届かないくらいで、自慢じゃないけれど出るところは出て引っ込むところはちゃんと引っ込んでいるという恵まれたプロポーション。顔は小さくて目はパッチリ二重で睫毛も長いのでマスカラいらず、小さめの鼻はすぅっと通っていて高く、唇はふっくらしていてツヤツヤ。外見だけなら女優さんやモデルさん、アイドルといい勝負だろう。 でも、わたし自身が「男は見た目より中身重視」であるように、男性側だって女を見た目だけで好きになる人ばかりではないだろう。その点、わたしはちゃんと中身も伴っているので心配はないのだけれど……。 (そういえばわたし、この人の好きな女性のタイプってまだ知らないんだよなぁ) 野島さんと知り合ったのはまだ就活をしていた三年前の秋、この会社の入社説明会の時だった。 入社してからも二年が経っていて、社内で顔を合わせれば話をする機会も多かったけれど、彼個人の内情などについて突っ込んだ話はしたことがなかった。ご実家が喫茶店だということや、南井さんの甥だったということを知らなかったのもそのためだ。 取材が始まるまではまだ時間があるので、
「――とりあえず、萌絵にライン送っとこ」 スーツのポケットから手帳型カバーのついたスマホを取り出したわたしは、緑色のメッセージアプリを起動させる。〈萌絵、ゴメン! もう仕事始まっちゃってるよね? 明日のお昼は顧問弁護士の先生と会食の予定があるから、一緒に社食行けなくなった。 平本くんにもよろしく伝えておいて〉〈りょうかい☆ 社長になった途端に大変だね。 平本くんにも伝えとくよ。 その代わり、今日の会社帰り、三人でまた飲みに行く? 佑香の社長就任祝いに。〉 萌絵からはすぐに返信があった。きっと、上司である木村誠司室長の目を盗んでコッソリ送信してくれたんだろう。(今日の夜の予定……)「――ねえ野島さん、村井さんでもいいけど。わたし、今夜の予定は何か入ってる? 友だちが今夜、わたしの社長就任を祝ってくれるって言ってるんだけど」 二人の秘書のどちらが答えてくれてもいいように、わたしは訊ねた。「今夜の予定……ですか? ちょっとお待ち下さいね――」「今夜は何も予定は入っておりませんよ。すべての取材が滞りなく終われば、社長も定時にはお帰りになれるはずです」 自分の手帳をめくろうとする村井さんを制し、ちょうど電話をかけ終えた野島さんが答えてくれた。彼は手帳を開かなくても、わたしのスケジュールを数日分は完全に記憶しているらしい。「そっか、よかった。ありがとう。じゃあ友だちにさっそく返事しておくわ」〈今夜は何も予定ないって。というわけで一緒に飲みに行こ! じゃあ、また退勤後にね~♪〉 萌絵からまたすぐに「オッケー☆」というペンギンのキャラクターのスタンプが返ってきたので、わたしはスマホを閉じた。「野島さん、よかったらあなたも参加する? 今夜の飲み会」 ダメもとで一応、彼も誘ってみる。彼にもあの二人と親睦を深めてもらえたらいいなぁと思ったのだけれど。「いえ、僕は遠慮しておきます。場の空気を乱してしまいそうなので」「……そう。分かった」 やっぱりダメか……。どうせダメもとだったので、断られてもあまりショックは受けなかった。 確かに、野島さんと平本くんが顔を合わすと修羅場になりかねない。平本くんは野島さんのことをあまりよく思っていないみたいだし、あわよくば野島さんもわ
「――ただいま」 社長室に戻ると、村井さんは戻ってきていたけれどそこに野島さんの姿はなく、代わりに通路の向こうにある給湯室からコーヒーのいい香りがしている。「あ、社長、お帰りなさい。野島くん、今給湯室でコーヒーを淹れてくれてますよ。ついでに私と彼自身の分も」「ホントだ。コーヒーのいい香りがするね。でも、三人ともコーヒーじゃなくてもよかったんじゃないの? 好きなもの、飲めばいいのに」 給湯室にはそれこそ紅茶も緑茶もハーブティーも、誰の好みかは分からないけれど中国茶まで常備されているというのに。何も社長のわたしに遠慮して無理にコーヒーでお付き合いする必要はないと思うのだけれど……。「いえいえ、いいんですよ。私もコーヒーは嫌いじゃないですし、野島くんの淹れてくれるコーヒーは本当に美味しいんで私も好きなんです。元々は紅茶派なんですけどね」 ちなみに父も大のコーヒー好きである。母は気分次第でコーヒーも紅茶も飲む。日和は紅茶しか飲まない。「……へぇー、そうなの」「――社長、お帰りなさい。お約束どおり、コーヒーを淹れて参りました。砂糖とミルクはお好みでどうぞ」 そこへ、コーヒーが注がれた三人分のマグカップとシュガーポット、ミルクピッチャーを載せたトレーを抱えた野島さんが通路を通って戻ってきた。わたしたち三人は応接スペースへと移動する。「ありがとう、野島さん! じゃあさっそく……」 わたしは受け取った香り立つマグカップに、お砂糖をスプーン二杯とミルクをたっぷり注ぎ入れて、ティースプーンでかき混ぜた。コーヒーは甘めが好きなのだ。「いただきま~す。……うん、ホントに美味しい! さすがはご実家の喫茶店を手伝ってるだけのことはあるわ」「畏れ入ります」 もう午後の始業チャイムは鳴ったけれど、社長室ではしばしのんびりとコーヒーブレイクタイム。今日はこの後二時ごろから取材の申し込みが数件あったけれど、急ぎの仕事は他になかったはず。「はぁ~、こんなに美味しいコーヒーが毎日飲めるなら、社長になった甲斐はあったかもなぁ」「喜んでいただけて何よりです。――ところで社長、明日からの予定ですが」「うん」 カップをローテーブの上に置いた野島さんが、スーツの内ポケットから手帳を取り出して広げた。「明日のお昼には、顧問弁護士の上沢先生と会食の